前回、息子が不登校の原因を「Cくんのことが50%、サッカーのことが50%」と話していたことを書きました。今回は、もう半分の理由——サッカーで起きたことについてです。
サッカーとの出会い
息子は保育園のころからボールを蹴るのが大好きで、小学1年生からスポーツ少年団のサッカーチームに入団しました。親が勝手に決めたわけではなく、本人の気持ちを確認して、体験入団もしてから正式に入ることにしました。
1年生のときは同級生にいじわるをされて一度「辞める」と決断したこともありましたが、優しい先輩や会長さんのおかげで復帰することができました。
「みんなのためになるなら」——キーパーを引き受けた5年生
小学5年生のころ、チームは人数不足に悩んでいました。親の負担が大きいスポ少を離れ、クラブチームに移る子が増えていたころです。さらに上の学年の保護者とコーチの間でトラブルが起き、大人数が一度に抜けてしまうという出来事もありました。
なんとか試合に出られる人数は揃ったものの、キーパーがいない。そこでコーチが息子に声をかけました。
息子はこう言いました。
「本当はフィールドの方が好きなんだけど、みんなのためになるならやる」
その言葉通り、慣れないキーパーを1年間やり続けました。
息子だけ、背番号が選べなかった
6年生に上がるとき、コーチが「好きな背番号を取っていいぞ」と言いました。
キーパーのレギュラー番号は1番です。1年間キーパーを務めてきた息子が1番を希望するのは、誰の目にも明らかなことでした。
ところが、他の子たちが次々と好きな番号を選んでいく中、息子だけは選ばせてもらえませんでした。理由は「キーパーは下の学年も含めて選び直す」から。
結果的に息子はキーパーから外され、みんなが番号を決めてからずいぶん遅れて、フィールドの背番号を渡されました。
大人ならまだしも、相手はまだ小学生です。「みんなのために」と引き受けた1年間は、何だったのだろう——そう感じても無理はありません。
それでも頑張って、レギュラーをつかんだ
悔しい思いをしながらも、息子は気持ちを切り替えて練習や試合に取り組み、フィールドのレギュラーメンバーに選ばれました。
試合によっては引率コーチが変わり、息子のことをよく知らないコーチが自分の担当学年の子をメインで出すこともありました。それでも腐らずに続けていました。
ケガをして倒れても、コートに放置された
そしてある重要な試合の日のこと。
「絶対5点差で勝たなければならない」——そんなプレッシャーの中、コーチはいつも以上にピリピリしていました。子どもたちは緊張で動きが鈍くなっていました。
試合中、相手に1点を入れられた瞬間、コーチは黙って椅子に座り込み、下を向いて指示を出すのをやめてしまいました。保護者の間に「あ、またはじまった」という空気が流れます。自分の気分で熱くなったり冷めたりするコーチの、いつものパターンでした。
そんな中、交代で出た息子は比較的冷静に動いていました。相手からボールを奪い、キーパーと1対1になったその瞬間——激しく衝突しました。
起き上がろうとしても、起き上がれない。膝を抱えてうずくまる息子。
こういうとき、コーチがコートに迎えに行くのが普通です。でもコーチは腕を組んで下を向いたまま。最終的には審判が息子を抱えてベンチまで連れて行きました。
試合後も歩けない状態が続き、病院へ行くと「オスグッドがバキっといってるね」と言われ、しばらくサッカーができなくなりました。
「みんなのために」とキーパーを引き受け、外されてもめげずにフィールドでレギュラーをつかんで、チームが萎縮するなかひとり冷静に動いていた息子が、ケガをしてもコートに放置された。
この出来事で、息子はコーチへの信頼を完全に失いました。
6年生の、9月のことです。
ケガが癒えないままサッカーを休み、そして10月——息子は完全に動けなくなりました。
あの頃の私は、どう対応したらいいのかわからず、親としてやってはいけないこともたくさんしていました。
不登校になったばかりの頃に私がやってしまったことは、こちらの記事に書いています。⇒親がやってしまったNG対応

