不登校の子どもに必要だったのは「来なさい」ではなく、安心できる関わりでした

食卓でそれぞれ違うことをする親子 不登校に向き合う

不登校になったばかりの頃、私は「どうしたら学校に行けるようになるのか」ばかり考えていました。

でも、親だけで抱えるのには限界があります。
学校の先生との関わりも、その時期の大きな支えになることがありました。

ただ、うちの場合は小学校と中学校で対応の仕方がかなり違いました。

小学校の先生の対応

これはあくまでうちの体験ですが、小学校の先生は「とにかく学校に来させる」というスタンスでした。

家まで迎えに来られて、

「○○くん!学校で待ってるからね!」

と大きな声で呼びかけられたこともありました。

けれど息子は布団の中で苦しそうに耳をふさいでいました。

また、

「お母さんが学校まで車で連れて来てくれれば、僕が車から引っ張り出して教室に連れて行きますから」

と言われたこともあります。

先生としては、何とか登校につなげたいという思いだったのだと思います。

でも、その頃の息子は、まず家から動けませんでした。

車に乗せることすら難しい状態です。
仮に学校まで連れて行けたとしても、無理やり引っ張り出されたらどう感じるだろう。

「無理やり連れて行かれた」というつらい記憶が増えるだけではないか。
私はそう思いました。

「しばらくそっとしておいてもらえませんか」

そうお願いしてみましたが、返ってきたのは

「そっとしておいてなんて、そんな!」

という言葉でした。

学校に何度も呼ばれましたが、解決にはつながりませんでした。

気持ちを軽くしてくれたSSWとの出会い

その後、学校のカウンセラーではなく、SSW(スクールソーシャルワーカー)を紹介してもらうことになりました。

この出会いは、私にとって大きな転機でした。

SSWの先生は、こんなふうに言ってくれました。

「学校側って絶対に“来させろ”って言うでしょ。そんなの気にしなくていいからね」

その言葉を聞いた時、肩の力が少し抜けたのを覚えています。

さらに、

「不登校の子どもは、一度回復して学校に行けるようになっても、また繰り返すことがあるからね」

とも言われました。

その時、「この人は本当に不登校の子どものことをよく見ているんだ」と感じました。

実際、息子もそうでした。

小学6年生の秋から12月まで不登校になり、1月からまた行けるようになりました。
けれど中学校に入ると、入学4日目でまた行けなくなりました。

回復と後戻りを繰り返しながら、少しずつ進んでいったのです。

中学校の先生の対応

中学校では、小学校ほど「来なさい」と強く言われることはありませんでした。

まずは私から息子の様子を聞き、先生が時間のある時に、通学路の途中まで来て息子と話をしてくれるようになりました。話と言っても軽く挨拶を交わし、「元気にしてるか?」と数分話す程度だったと聞いています。あくまで息子に負担がかからないように気遣ってもらえていたと感じました。

最初は通学路の途中にある目印の建物まで。
そこから少しずつ距離を伸ばしていき、最終的には学校で会う。

そんなふうに、息子のペースに合わせて関わってくれました。

強い言葉で引っ張るのではなく、「少しずつ外に出てみよう」と支えてくれたことで、息子も少し心を開けたように感じます。

その頃から、学校には行けなくても、朝に頭を抱えて何も言えなくなることは少なくなっていきました。

今振り返って思うこと

あの頃の私は、「学校に行かせること」が正しいと思っていました。

でも今振り返ると、必要だったのは、無理に動かすことではなく、まず安心できる関わりだったのだと思います。

子どもが安心すると、少しずつ自分から動けるようになることがあります。

それはすぐではないかもしれません。
でも、ちゃんと前に進んでいく力は子どもの中にあるのだと、私は感じています。

学校に行けない時間が続く中でも、家では少しずつ小さな変化がありました。
その時期のことはこちらに書いています。⇒家で少しずつ変わったこと

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