小学校6年生の10月から12月まで完全不登校だった息子。
翌年の1月から2月には登校できるようになっていました。
ところが、その直後にコロナ禍となり、全国の学校が休校に。
3月から中学1年生の5月末ごろまで、再び家で過ごすことになりました。
せっかく行けるようになったのに、こんなことになるなんて。
長く家にいることで、また学校へ行けなくなるのではないか。
そんな小さな不安が、心のどこかにありました。
そして、その不安は現実になりました。
中学校への登校が始まって、わずか5日目。
息子はまた学校へ行けなくなったのです。
そのとき思い出したのが、SSW(スクールソーシャルワーカー)に言われた言葉でした。
不登校の子どもは、一度回復して学校へ行けるようになっても、また繰り返すことがあるからね。
当時はどこか遠くに感じていた言葉が、その朝は妙に胸に残りました。
行けなくなった朝、小学校のときと同じだった
中学校生活が始まった最初の4日間は、ふだん通りに見えました。
帰宅してからも、
「誰と同じクラスになった」
「担任の先生はこんな感じの人」
そんなたわいのない会話もできていました。
ところが5日目の朝。
息子は起きてきたものの、食卓に座ると椅子の上で膝を抱え、うなだれたまま動きません。
「どうしたの?」
と、声をかけても返事はありませんでした。
苦しそうに目を閉じています。
その姿を見たとき心の中で思いました。
「またか……」
小学校の時と同じ。
こうなるともう動けない。行けそうにもない。
「なんで? また?!」と言いたい気持ちを抑え、冷静に学校へ欠席の連絡を入れました。
中学校で初めての面談|小学校の先生との違い
学校を休み始めて3日ほど経ったころ、私ひとりで担任の先生と面談することになりました。
正直、そのときは覚悟していました。
また「学校に連れてきてください」と言われるのだろう、と。
けれど実際は違いました。
先生はまず、小学校のころの様子や、学校に行けないときに家でどんな状態になるのかを丁寧に聞いてくれました。
そして、「来させてください」という言葉はありませんでした。
中学校は複数の小学校から生徒が集まるため人数も多く、不登校の子どもも少なくありません。
そのせいか、先生方はとても落ち着いていて、
「来なさい」「来させてください」
だけでは解決しないことを、よくわかっておられるように感じました。
その対応に、私のほうが少しほっとしたのを覚えています。
2度目の不登校で気をつけたこと|小学校のときのNG行動を封印
小学校で不登校になったばかりのころ、私はどうしていいかわからず、いくつものNG行動をしてしまいました。
- 理由を何度も問い詰める
- 行くか行かないか、その場で答えを急がせる
- 「明日は行けるはず」と期待し続ける
- 親の仕事や生活の都合を優先してしまう
- 子どもの前でため息をつく
どれも、状況をよくすることにはつながりませんでした。
だから中学では、それを意識して封印しました。
すると少しずつ、息子が話をしてくれるようになりました。
とはいえ、
「どうして行けないのかわからない」
そんな言葉がほとんどで、すぐに解決につながるものではありませんでした。
それでも、親子の会話ができるようになったことは大きかったと思います。
以前のような張りつめた空気ではなくなりました。
親が「理解しようとしている」と感じられるだけでも、子どもは少し安心できる。
そのことを、このとき実感しました。
NG行動を封印したぶん、私のストレス解消も必要だった
NG行動をやめて間もないころは、やはりストレスもたまりました。
本当は学校に行ってほしい。
その気持ちが、すぐに消えるわけではありません。
私はそんなとき、買い物へ行く短い運転のあいだにひとりで歌ったり、夜、イヤホンで好きな音楽を聴いたりしていました。
また、ママ友のなかに同じように子どもの不登校で悩んでいる人がいて、少しずつ話をするようになりました。
子どもが不登校ではない仲のよいママ友もいましたが、悩みを聞いてもらったときに、
「ごめんね、うちは学校に行っているから、うまくアドバイスできないよ。」
と言われたことがあります。
その言葉に傷ついたわけではありません。
むしろ、正直にそう言ってくれたのだと思います。
ただ、同じ悩みを持つ人と話せることには、やはり大きな救いがありました。
「うちもそうだったよ」
そのひと言だけでも、気持ちが少し軽くなることがあります。
もうひとつ、私にとって助けになったのがスクールカウンセラーでした。
不登校のことを話してもきちんと受け止めてくれますし、学校を通して相談できるので費用がかからないのもありがたかったです。
身近に同じ悩みを持つ親がいないときは、スクールカウンセラーに話を聞いてもらうのもひとつの方法だと思います。
話してみるだけで、少し気持ちが整理されたり、心が軽くなったりすることもありました。
行ける日も少しあったけれど、安定して通うところまではいかなかった
あとから先生とのメールを見返してみると、中学1年のころはずっと家にいたように思っていましたが、実際には少しずつ学校とのつながりができていました。
放課後に先生と三者面談をしたり、先生が家の近くまで会いに来てくれたり。
そんな小さなやりとりを重ねるうちに、少しずつ先生との信頼関係ができていったのかもしれません。
メールの記録を見ると、午前中だけ教室に行けた日もありました。
その直後、3日間だけ授業が3時間で終わる日があり、先生から「この3日間だけ、続けて来てみないか」と声をかけてもらっていました。
そのときは、毎日通えるようになったわけではありません。
それでも、まったく動けなかったわけでもありませんでした。
当時は「行けた日」と「行けなかった日」に気持ちが大きく揺れていて、あとになると細かなことは記憶から抜けてしまうものだと感じます。
振り返ってみると、中学1年は学校との距離を探しながら、少しずつつながりを残していた時期だったのだと思います。
本格的に別室登校という形が見えてきたのは、中学2年になってからでした。
当時の息子の気持ち|先生とのメールのやりとりから
当時、先生に送ったメールを見返すと、息子は「そろそろ行こうかと思っているけど動けないんだよね」と話していました。
それから、先生に「行きます」と連絡した予定日の前日、やはり行きたくなくなってしまったけれど「担任の先生は自分のことを理解してくれているので、約束は破りたくない」とも言っていました。
あのころは、行きたい気持ちがあっても、その一歩がどうしても出せない時期だったのだと思います。

