不登校 中学3年|受験目前で再び不登校に…それでもなんとか高校生になれた

別室登校する中学生の後ろ姿 不登校に向き合う

中3から登校できるようになった息子

中学2年までは、不登校の期間を「休養期間」と考え、無理に登校を促すことはしませんでした。

そんな息子が、中学3年になって少しずつ登校できるようになっていきました。

「普通に高校生活を送りたい」

そう言ったのは息子自身です。

朝起きて学校へ向かう姿を見ながら、
「このまま少しずつ前へ進めるかもしれない」
そんな期待を持ち始めていました。

10月、再び休みがちに…

ところが10月頃から、また雲行きが怪しくなっていきます。

これといった大きな出来事があったわけではありません。

けれど、少しずつ欠席が増えていきました。

高校受験が目前に迫っている時期です。

「このままではまずいかもしれない…」

そんな不安が、私の中でも大きくなっていきました。

三者面談でかけられた厳しい言葉

担任の先生から提案があり、急遽三者面談をすることになりました。

普段は優しい先生でしたが、その日の表情はとても真剣でした。

「高校へ行きたいのなら、ここで頑張らないと行けなくなるぞ」
「もう甘えるな」

細かい言葉は違うかもしれませんが、そんな内容だったと思います。

先生もきっと、息子の将来を考えて言ってくださったのでしょう。

私は息子の隣に座っていました。

うつむきながら「はい」と返事をする息子。

その時、机の下で息子の手が震えているのが見えました。

面談翌日、完全に起きられなくなった

面談後、帰りの車の中で

「大丈夫?」

と声をかけると、

「うん、なんてことないよ」

と、息子は普通に答えていました。

けれど翌朝から、完全に起きられなくなってしまいました。

呼びかけても反応せず、眠り続けています。

まるで、中学1〜2年の頃に逆戻りしたようでした。

この状態が続けば、高校受験は本当に難しくなるかもしれない。

そんなあきらめの気持ちも、少しずつ出てきました。

担任からの電話

学校へ欠席のWEB連絡を入れ、私は仕事へ向かいました。

すると担任の先生から電話がかかってきました。

「お母さん、僕やらかしちゃいましたかね…どうしましょう…」

先生も、かなり悩まれていたのだと思います。

きっと考えた末に、今回は厳しめの言葉をかけたのでしょう。

でも、それが裏目に出てしまいました。

ただ、こればかりは誰にも正解がわかりません。

先生を責める気持ちにはなれませんでした。

私は「また様子を見ますね」とだけ伝えました。いえ、そうすることしか出来ませんでした。

「高校へ行きたい」気持ちは残っていた

それでも私は、息子の本心は「高校へは行きたい」なのだと思っていました。

そのため、高校受験の準備だけは止めずに進めました。

提出書類を用意し、必要な準備を進めていきます。

もちろん、本人が書かなければいけない書類は本人に書かせました。

志望動機など、文章を考えるのが苦手な息子とは、一緒に内容を考えながら進めました。

不登校経験者向けの「自己申告書」を提出

受験したのは、公立1校、私立2校です。

公立高校には、「自己申告書」も提出しました。

これは、不登校を経験した生徒が任意で提出できる書類です。

欠席が多くなった理由や、高校で頑張りたいこと、本人の意欲などを伝えるための補足資料で、校長先生経由で提出されます。

自己申告書では、

  • なぜ休んでいたのか
  • その期間に何を感じたのか
  • 高校でどうなりたいのか

を、前向きな姿勢で書くことが大切だと感じました。

また、調査書との内容にズレが出ないよう、中学校の先生との確認も必要になります。

※詳しくは、通っている中学校へ確認してみてください。

受験当日の朝は毎回冷や冷やだった

受験当日も、本当に受験会場へ行けるのか、朝起きてくるまで毎回冷や冷やしていました。

不機嫌そうにしながらも、なんとか起きて受験へ向かいます。

2校は市内だったため、車で送りました。

もう1校は市外の高校で、中学校から送迎してくれるその高校のスクールバスを利用しました。

迎えの時間が早かったので、その日は特に気が抜けませんでした。

「今日は起きられるだろうか」

朝になるまで落ち着かなかったのを覚えています。

結果は、3校受験して1校だけ合格でした。

しかも、希望していた工業科ではなく普通科での合格です。

それでも、「高校へ通いたい」という希望は、なんとか叶いました。

あの当時を振り返り思うこと

受験期に再び不登校になると、親はどうしても焦ります。

「このままでは高校に行けないかもしれない」
「今頑張らないと将来困る」

そう思ってしまうのは当然でした。

けれど当時の息子は、“頑張れない”のではなく、“限界だった”のだと思います。

それでも、「高校へ行きたい」という気持ちは完全には消えていませんでした。

親としてできたのは、本人の気持ちを信じながら、進学の準備だけは止めないこと。

結果的に希望通りではなかったとしても、高校生になることはできました。

今振り返ると、「あの時点で人生が終わるわけではなかった」と思っています。

タイトルとURLをコピーしました