通信制高校の「N高等学校」へ転学したあと、息子は劇的に勉強するようになりました――。
……と言いたいところですが、現実はそう簡単ではありませんでした。
毎日学校へ行かなければならないというプレッシャーから解放されたことで、むしろ気が緩んだように見えたのです。
転学手続きが終わってから教科書が届くまで少し時間が空いたこともあり、しばらくは勉強する様子もありませんでした。
そんな姿を見ていると、
「本当に転学して良かったんだろうか?」
と、不安になることもありました。
けれど、教科書が届くまではどうすることもできず、私はただ見守るしかありませんでした。
通信制高校を卒業するためのミッション
教科書が届いてからもしばらくは動きませんでしたが、卒業するためには期限までにやらなければならないことがあります。
卒業までに必要だったこと
- 1年分のレポート提出
- スクーリングへ2回参加
(県外の分校またはオンライン) - 3月の期末テスト受験
そして、レポートを提出していなければ、その教科の期末テストは受けられません。
つまり、レポートが終わらなければ単位を落としてしまうのです。
しかも息子は11月に転学しましたが、扱いとしては4月入学。
そのため、4月〜10月分までのレポートがすでに溜まった状態でした。
最終締切日は1月15日。
かなり厳しいスケジュールだったと思います。
「言いすぎてもダメ、言わなくてもダメ」
通信制高校では、保護者用アカウントからレポートの進捗状況を見ることができました。
だからこそ、進んでいない状況も見えてしまいます。
なかなかやる気を出さない息子を見ているのは、正直かなりしんどかったです。
「うるさく言いすぎると、やる気をなくしてしまうかもしれない」
「でも、何も言わなければ、このままずっとやらないのでは?」
そんなふうに、声かけのバランスには本当に悩みました。
なので私は、
「レポート間に合いそう?」
と、時々思い出したように声をかける程度にしていました。
また、“メンター”と呼ばれる担任の先生からフォローのメールが来た時には、
「先生から連絡来てるよ」
と伝えるようにしていました。
今思うと、“見守る”というのは、親にとってかなり根気のいることだったと思います。
単位を落としてしまったとき
結局、息子は5教科ほどレポート提出が間に合わず、単位を落としてしまいました。
同級生と卒業時期をずらしたくない。
その思いで通信制高校への転学を選んだのに――。
正直、
「何やってんの!」
と思いました。
あきれた気持ちもありましたし、
「もう…結局どうしたいの?」
と言いたくなる気持ちもありました。
たぶん実際、少しは言ったと思います。
けれど、責め立てることはしませんでした。
もっと厳しく言った方が本人のためなのかもしれない。
そう思うこともありました。
でも当時の私は、それ以上に「これ以上引きこもってしまうこと」の方が怖かったのです。
転学直後の短期間に、やらなければならないことが一気に押し寄せていたのも事実でした。
本当はそういうのも乗り越えてほしかった。
けれど、その頃の息子にはまだ、その力が残っていなかったのだと思います。
それでも進級はできた
レポートが間に合わなかった5教科分の期末テストは受けられませんでした。
ですが、
- 11月転学だったこと
- 多くの教科は提出できていたこと
なども考慮されたのか、2年生への進級は認められました。
ただし、落とした教科については、
- 2年生でも再度レポート提出
- スクーリング受け直し
- 翌年度分の授業料支払い
が必要になりました。
「やらない」のではなく「できない」のかもしれない
小学校で不登校になった頃、臨床心理士の先生と面談したことがあります。
その時に言われたのが、
「寝ている間もずっと脳を使っている状態なので、寝ても疲れが取れない」
ということでした。
だから朝起きられないし、やる気も出にくいのだと。
高校生になっても、まだその状態が続いていたのかもしれません。
もちろん、本当のところは本人にしかわかりません。
本人自身も、うまく説明できなかったのかもしれません。
中学生の頃、息子は
「行かなきゃと思うけど行けない」
と言っていました。
それが高校では、
「やらなきゃいけないとわかっているのにできない」
に変わっていったような気がしました。
不登校の子どもと向き合うのは、本当に根気がいる。
そんなことを何度も感じました。
少しずつでも“できること”はあった
学校のことになると、なかなかやる気が見えなかった息子ですが、家のことは頼めば意外とよく手伝ってくれました。
ちょうどその頃、引っ越しをしたこともあり、
- 電灯の取り付け
- 防犯カメラの設置
- 庭の草取り
など、いろいろ手伝ってくれました。
面倒くさがりな性格ではありますが、そういう作業はちゃんとやってくれて、私はかなり助けられていました。
学校だけが、その子のすべてではない。
あの頃は、そんなことも感じていました。

