中学2年|別室登校しながらもがいた一年間

保健室(別室)登校している中学生 不登校に向き合う

中学2年の始まりは、1年生の終わりの面談からでした。

旧担任と新担任を交えた面談で、「4月から別室登校をしてみないか」という提案がありました。
「週に1日でも2日でもいいから、まずは来てみない?」という内容だったと思います。

新学期が始まると、担任の先生は息子と直接メールでやり取りを始めました。
私もCCで内容を見ることができ、先生が別室登校を担当できる曜日や時間を提案し、息子が返事をする形でした。

「この時間なら私が空いています。iPadの設定とかもあるし、ぜひやってみましょう」

「校門のところで待ってるよ」

「無事に家を出たかな?」

そんな短い言葉のやり取りが、1年間続いていきました。

行ける日も、行けない日もあった

別室登校は、約束した日に行ける日もあれば、朝になると動けなくなって行けない日もありました。

前の夜には日課をそろえたり、給食当番の三角巾の巻き方を練習したりしていても、朝になると気持ちが変わってしまう。
「今日は行く」と準備していても、玄関を出るまでがとても大きな壁でした。

私もそのたびに先生へ連絡を入れていました。

「昨夜、日課をそろえていましたが、朝になると行きたくなくなったようです」

「週1回は行かなくてはと思っているようですが、朝になると気持ちが動かないようです」

行けない日が続くと、本人も罪悪感を持っていました。
親としては励ましたいけれど、どこまで背中を押していいのか迷う日々でした。

それでも、学校とのつながりは残っていた

一方で、登校できた日は自分から動いていました。

先生が校門で待つより早く着いた日は、自分から職員室へ行ってあいさつをしたそうです。
先生も感心してくれました。

登校できない日に、自分で先生へ連絡したこともありました。

「すいません今日も、登校する気になれなかったので休みます」

そんな日は先生が自宅まで顔を見に来てくれたこともありました。
そのとき、先生の車が見えなくなるまで見送ったと聞いて、学校とのつながりはちゃんと残っているのだと感じました。

先生は、待ちながら関わり続けてくれた

先生は、息子がすぐに返事をしない時も、急かすのではなく、何度も声をかけてくれました。

「なかなか決心がつかないのでは? でも、それでいいよ」

「教室まで行ってもいいし、行かなくてもいいし」

「焦らない、焦らない」

登校の話だけではなく、お昼ご飯や日常のちょっとした話題もありました。

「今日のお昼は何を作ってるかな?」

そんな何気ないやり取りが、学校を“行かなければならない場所”だけではなく、“つながっている場所”として残してくれていた気がします。

9月、教室登校に挑戦した

4月から7月までは、別室登校を行けたり行けなかったりしながら続けました。

8月には、夏休みに一度登校しないかと先生から提案があり、息子は学校へ行きました。

その流れで、9月から教室登校に挑戦することになりました。

始業式が近づいたころには、

「学校始まる……怖いな」

とつぶやいていました。

それでも友達と一緒に行く約束をして、登校しました。

9月15日からは1週間、教室に通うことができました。

翌週も登校予定でしたが、今度は成長痛が強くなり、そこでまた休むことになりました。

参加できた文化祭

10月、11月はまた登校が減り、週に1〜2日の別室登校に戻りました。

それでも、文化祭には参加しました。先生にうまく乗せられたみたいです。

合唱ではみんなと一緒に歌えたらしく、先生からのメールにあった、

「合唱もみんなと歌えてよかった」

という言葉を、今でも覚えています。

不思議なくらい、こういう行事には力が出ることもあるのだと思いました。

中学2年を振り返って思うこと

中学2年は、順調に学校へ戻っていった一年ではありませんでした。

行ける日もあれば、行けない日もある。
前の夜に準備をしても、朝になると動けない。
少し進んでは、また戻る。

そんな繰り返しでした。

でも今メールを読み返すと、あの時期は何も止まっていたわけではなかったのだと思います。

先生が待ってくれて、息子も行ける日は行こうとしていた。
親もその間で揺れながら、なんとかつないでいた。

中学2年は、行けたり行けなかったりしながら、息子なりに学校へ行くことを頑張った一年だったのかもしれません。

中学3年に上がる前に、息子は「受験だから」と中3から教室登校決意します。

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